この本質に立ち返る
もう、足す時代が終わった。
私はそう思ってます。
そいでいく時代。
盛りに盛って生きた人は
そのまま行ってください。
今更、脱げないと思うなら
そのまま甲冑着て、どうぞ。
でも、本当の私が疼いている方
どんどん、剥ぎ取りましょう。
こうやって2極的な時代になっていくんだなと
見物しております。
対立ともまた違います。
もー全然別世界にいるので
この2極とも
相手が見えなくなります。
大変ゆかいな時代に突入したもんだ。

といっても
きている甲冑ですが
自分では自分のどこまでが
甲冑なのか?どこまでが
あてがられた事柄なのか
自分はこうしたい!
と思っていることさえ、
自分のアイディアではないことも
たくさんあって
本当の自分には
なかなか気づけません
本当の自分とは
魂の望むこととも言うんじゃないかなと思います。
甲冑やあてがられた事柄を
ぬぎ捨ててしまい本質に帰ろうとする人に
立ちはだかるのは
孤立という試練です。
しかし、
心の孤立感が拭えた時
本当にしたいことが見えたりするんだー!
愛に到達するんだー!
甲冑をきている人の仲間は
条件付きの愛で繋がる人間関係です。
どっちが正しいもない。
私は甲冑脱ぐ方へ
いかざるおえないもの(魂)を持っています。
甲冑きているとどんどん病んでいきます笑
なので、着たいのに、着れないタイプといってもいいかもです笑
どんだけ悩んだことか。
しかし最近、ようやく
あ、あたしって変なんだって受け入れることが
できましたw
だけど、育った環境や
周囲の影響で
何気にちょっとだけ着てみたこともありましたが
見事に、ダウンするのです。
まじで、性に合ってないと感じるわけです。
違和感しかない。
甲冑のない人生は
ALIVE感は相当あります。
一生懸命生きていけるからです。
自分で考え、怪我もいっぱいします。
だけど、生き抜いてる感は絶大w
そして正直、しんどい時もあります。
変わった人にしか見えないからです笑
人の目はやはり気になるもんです。
が、どーしても、できない。
しかし、広島に帰ってきて
幼い頃の自分を思い出したりして
わかってきはじめました。
そうやって削いで行った結果
本質が見えはじめたりする。
でも、ちょっと気づきたくない
そんな感覚にも近いのが本質。
常識的に考えて。。。
っていうかこの、常識ってのも
結構、レイヤーがある。
この時代の常識
その土地の常識
その人間関係の常識などなど。。。
だけど、本質ってのは
普遍的な感じの常識とか根本のことだと思ってます。
普遍的ってのは
研ぎ澄まさないと理解できません。
みんな結構目を背けたい感じのものなのです。
外側のせいだと思いたいけど
そうじゃないのです。
本質って内側に向かうことだとも思います。
この時代、世間、地域の常識を
取り払って考える必要があります。
最近、ライブをするコーヒー屋さんとは別に
メッセージかのように
本質を見せられた
パスタ屋さんに
偶然遭遇しました。
和風パスタ2種類しかない。
醤油味とタラコ
店内はラグジュアリーなムードと
相当鍛錬された感じのする味がしたのだけど
なんでパスタ屋なのに
和風2択なんだろうか。
そして、お店は満席。
またコチラのお店も常識はずれな
場所にあります。
醤油と明太子のパスタが正解とか
そうじゃなくて
このシェフの個性を表現したら
ここに行き着いたということだろうと。
そういうことだ。
フォークもでてこず
箸が出てくるんです。
味なんですけど
昨今いろいろたべて一番
うまーーーーーい!と思ったかも。
珈琲屋さんもパスタ屋さんも
共通してることがあるのは
なんか、あったかいってこと。
愛してるんだな❤️
本質に立ち返る。
はーこわい。
こわいですよ!
だから人は鎧を着る。
本質に立ち返るって
鎧を脱いでいくことだと思ったんです!
それでも大丈夫なんだ❤️
自分を愛してあげると
本質はみえるのかもな