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映画「オッペンハイマー」を見にいきました。

私は広島生まれで、おじいさんは被爆者手帳を持っていました。

ちょっとおじいさんのお話。

おじいさんは海軍にいて、たしか16歳だったかなー?
防府にいた時に、
広島が大変なことになっているから
帰れ!

と言われて、原爆投下2日後に
広島に戻ったそう。

おじいさんって、無口で怖い印象あったんだけど、
孫の私たちには、割と甘々で
九州中連れまわし、旅に連れて行ってくれたのも
おじいさんとおばあさん。

私が20歳の頃に福岡に来た時は、
割と九州中の道をすでに覚えてた。

おじいさんはユニークな人でもあって、
日本中いろいろよく知った人でした。

私が旅が好きなのは、
絶対おじいさんの影響が大きい。

私が小3年、夏休みの課題で、
家族で被爆している人がいたら、
お話しを聞いてきなさい、というお題だったので
さっそく、おじいさんがいる畳の部屋へいき、
ステテコ履いてくつろいでいたところ、、、

リトル私:ねーおじいちゃん…

おじいさん:なんね?

リトル私:原爆で何があったん?

と聞いたところ、
おじいさんが、みるみる目がちばしり、

おじさん:その話を2度とするな!!!!!!(激怒)

すごい怒鳴り声で、鬼のような顔して
怒られて、それ以来、その話題は御法度だと
聞けなくなった。

でも、子供ながらに
なんか、とんでもなく、すごく大変だったんだな
と察した。

おじいさんが、亡くなる前、
母が、おじいさんから聞いた話。

ぽろっと

原爆での、
わしゃ、広島に戻って
死体の処理をしよったんじゃけどの
目を避けたくなるような姿した
(多分やけどで姿がわからないほど)
女性が、わしの水筒みて

水をくれませんか・・・

というたんじゃが、
軍の命令で火傷負った人に水をやると
死んでしまうから水を飲ませてはいけない

といわれとったから、

すまんのう、この中には水は入っとらんのじゃ
というて、通り過ぎたんよ。

ほいで、1時間くらいしての
ハッと思うて、
あの女性がおったところに戻ってみたら
そこで死んどった。

あの後すぐに亡くなったんかと思うたら
水を飲ませてあげりゃよかった
すまんかったのぅ。。。思うて
今でも心で悔いとる。


終戦後すぐ、おじいさんは
広島平和記念公園の建設に携わることになった。

お祈りするところに火が灯されていますが
あの周辺や基礎工事した。
(今はおじいさんが据えた石の通路は新しくなってる)

原爆落ちた後、
ここ一帯を公園にする
と誰の忖度もなく?誰かが✳︎そう言い始めて
あの公園ができたらしいです。
✳︎ちょっとここの話はなんか含みがある気はするけど。。。


工事中も遺体がたくさんでたそうです。
一体一体うごかし、あの辺一体を綺麗にし
工事に取り掛かったという話です。


私はそんなわけで、
おじいさんからあんまりその話は聞いてなくて
広島の激しい平和教育も受けていたけど
正直あの話が好きじゃなかった。

どうでもいい

と思ってたくらい
なんか、毎年嫌な日だった。

黙祷のサイレンも嫌いだった。

資料館も行ったけど、
キツすぎて、走って号泣して出口へ行った記憶もあった。

観光で来る人をみて

よく、いくなぁ・・・と思ってた。

が、この何年かで
少し受け止められるようになり、
広島に帰って始めの年の8月6日に
平和式典の日にお参りにいった。

これも、歴史だ。

歴史だ、と思えるくらい
月日が経ったのかもだね。

そして、この映画をしって、
待ち遠しかった。
オッペンハイマーを張り切って
みることにした。

3時間の映画だったけど、

興味があったからか
あっという間でした。

日本人だったら、腹が立つかもしれない
という前評判で

わざわざハッピーにならない事を
お金出して見たくないとおもったんだけど

オッペンハイマーのこともしりたかった。

ネタバレしたらいけないから
言わないけど、

おじいさんの遺伝子が
奥の奥の奥底で反応している気がした。

だけど、オッペンハイマーの
人物像はなんだか憎めない、むしろ魅力的。
そういう話(科学)は嫌いじゃないから。

が、最後は

戦争って、
一般人はやっぱなんも罪ないなって。

オッペンハイマーも
天才だけど、この人だって、

時代の波に飲み込まれた人のひとりなんだなぁ。
という感想に落ち着いた。
私はそう捉えました。

人って、なんというか。。。
ちょっと仕方ない気がした。

自分だって、簡単に波に飲み込まれちゃうし。

仕方ないで終わらせられないんだけど
人って
喜怒哀楽、それによっぽど修行してない限り
煩悩だらけだし、
世界平和ってのは、かなり難しいと正直私は思う。
が、綺麗事かもしれないけど、
世界平和、そう心から願ってはいます。

でも、
今の広島をみたら

パラレルワールドに入ったような。
原爆が落ちた悲惨な広島と
なんか穏やかで小鳥がさえずって
綺麗な川が流れて、川面がキラキラしている広島。

忘れてはいけないのは、
広島だけではなくて。

長崎も沖縄もだけど、東京や日本全国で
焼夷弾などの空襲にあってる。

美化するつもりでいってるんじゃなく、
素直に、
ほんと今のこの状態の国になるのに
いろんな人がそれぞれが、織りなすように
ほんと織物のように、おられていく
または、意識はないかもだけど、
一人一人の人生が積み重なって
今、現在があるんだよなって。。。
積み上げてるつもりはない人が多いかもだけど、
ちゃんとちゃんと繋がってて、
すごく大きなもの(たぶん愛)を感じちゃうんですよ、
近頃。

感じたら、素直に受け取るように
最近してます。

ありがとうって。

先日、近所の喫茶店で
90代二人のご婦人と顔馴染みになったんで
おしゃべりしてたんだけど
ちょうどおじいさんやおばあさんが生きてたら
このくらいの年齢なとおもってお話しした。

ほんと、もーーー
ずいぶん変わったわよぉ。。。
こんなにいろいろ変化すると思わなかったわ。
忙しかったわ〜

今のこの状態は、子供の頃、
想像もしてなかったわ

防空頭巾をかぶって寝てたって。

ひとりのご婦人は若い頃、福岡の西新にいたとか。
ミゼットで主人と砂浜を走ったって。
戦後すぐの話だね✨

で、やっぱこの激動を乗り越えていらっしゃる人たちは
戦争はダメだけど、戦争になることって
0じゃないわよっ。

と経験者はそういう。

私も、嫌だけど、
可能性はゼロってことはないって
思ってる。

この先、仮に戦争おきたら、
私、無理ですよ、訓練も受けてないのに。
なんもできないですし、
逃げ惑う元気もないですよ笑

と二人にいうと

なんとかなるのよ!これが

っておっしゃってました(笑)

こんな話をしているこのシチュエーションにも
感謝だ。平和な証拠。

最近、原爆ドームが
不思議と悪くない気がしている。

若い頃は通るのも嫌だったけどね。

これを読んでいる方へ、
広島にきて、
オッペンハイマー見にきませんか?
広島でみるってすごい臨場感になりますよ。

惨状をしって、こんなことはダメだ!
と思うのもいいけど、
どういう背景があって、
どんなふうに、どうして戦争になっていくかを
その様子を描いた映画かなと思います。
そしてその様子を俯瞰して、
あんなふうだと、人ってそうなるのか。。。
戦争ってそうやって始まるんだな
って、そこを描いていた映画と感じました。

私のおじいさんが生きていたら
おじいさん、見に行くかな。。。どうだろうか。。。

私は、もう一回観に行こうと思うほど
(面白いとかハマるとかそんな茶化す意味じゃなく)
なんか刺激を受けましたし、
俯瞰しまくりたいの意味で、つまり、はまりました。

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